あなたにはイエの記憶があるか(書庫を建てる: 1万冊の本を収める狭小住宅プロジェクト 読了)

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自分のブログを見返していたら、「書庫を建てる: 1万冊の本を収める狭小住宅プロジェクト」を読んだ感想が載っていなかったのでメモ帳から引っ張り出して貼りつけた。以降は昨年10月の文となる。(そして家の諸々はその後の体調不良により滞っている)


イエの記憶があるか、と言われると、ほとんどないと答えるだろう。
いい年して実家住まいの人間であり、その実家は母方の曽祖父が建てたものである。曽祖父母の記憶は母や祖母が憶えているものを朧げに伝え聞いていたが、その前まで辿れるかは分からない。父方となると祖父母のこともなんとなくしか分からず、曽祖父母など全く分からない。

という訳で、単純に「本で床は抜けるのか」から興味を惹かれて手に取った本書冒頭の、施主側の筆者のイエの記憶を辿るくだりには驚いた。仏壇の記述は「本で床は抜けるのか」にも少しあったが、筆者の切実な気持ちを読むと我が家のことも考えたくなる。墓はどうするのか、仏壇は……。
少なくとも現状では私の代で墓じまいする気はないのだが、そもそも結婚していない身なので引き継ぐべき次代は残念ながら存在しない。同年代の親戚が果たしてやってくれるのだろうか。押し付けにならないだろうか。しかし祖母はあの墓も仏壇も大事に思っている。曽祖父母、祖父、戦中亡くなった祖母の兄達がいるのだ。

さて、曽祖父が建てた家に住んでいる私は本書の「築10年経った住宅の壁や天井を剥がしてみると…雨漏りが見つかったり、柱がシロアリに食べられていたり…」という言葉にドキッとした。少なくともここ十年、この家は何某かの点検をしていない。
祖母が現役の時分には、近所の大工さんに頼んで部屋の改築やらをしてもらっていたらしい(私も生まれて暮らしているはずだが記憶にない)。その大工さんも亡くなって久しい。いったいどこの誰に頼めばいいのか、ノウハウは父母に引き継がれず(ひょっとしたら祖母も思い付かなかったのだろうが)、父母も歳を取り、家はガタついてきている。
……ひょっとして、私が動かないといけないのだろうか。
もう自分の家のことしか頭にないせいで、建築過程の話は読んでいるとただただ羨ましい。とは言え、少なくとも祖母が生きている間はこの家を取り壊すつもりは私にも家族にもないので、家の点検をどこかに頼むところから始めたいのだが……一体どこに?

とまあ、読んでいる間中自分の家のことが頭から離れなかったのであるが、建築過程は非常に面白かった。施主の意向、土地の条件、工事中の思わぬ出来事……。建築とは様々な人間が携わる仕事なのだと改めて思う。
しかし、2012年の時点で職人の高齢化、離職の話が出ているが、10年経った現在ではどうなってしまっているのだろう。近所では続々と家が建て替わってはいるが……(やはり今回は自分の周りの話しかしないな)。

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読書
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