ドラキュラの絵本版……だが、最後のページの作品解説でわざわざ原作のあらすじが載っているように、本作は原作とは細部がかなりかけ離れている。
例えば、原作に一ページ程度しか記述がない人物に全く違う役割を割り振っていたり、原作ではその場にいるはずのない人物がいたり、人間関係や人物の性格が異なっていたり。吸血鬼になってしまう条件も違う。
だが、ドラキュラは映画などでも様々な改変が為されているようだし、バリエーションとしてこれはこれで面白かった。
原作の抄訳を読みたい場合はポプラ社から出ている「ホラー・クリッパー 吸血鬼ドラキュラ」の方がおすすめ。
どう違うのか
違いが多すぎて面白かったので、以下に原作との違いを書き出してみようと思う。
まさかヴァン・ヘルシング教授が直接関わらない上に、原作ではワンシーンしか出ていないカフィン医師が代わりと務めているとは!
更に原作では名前が出た途端に即死したスロヴァキア人の商人である、スキンスキーがなぜかドラキュラの執事に。
出だしは四人乗りの馬車のシーンから。原作では御者も他の乗り合いの客達もみんなジョナサンのことを案じてくれて、城に着かないようにと考えていたけど、こちらでは普通に城に到着。
ジョナサンとアーサーが既知の仲、というかアーサーと仲良くなった後にその縁でミーナと知り合ってるっぽい?
原作ではガラツでドラキュラ伯爵の荷物を受け取り殺されたスロヴァキア人の商人、スキンスキーがトランシルヴァニアの城で伯爵の従者をやっている。
この本ではドラキュラ伯爵の姿が映らないのは書棚のガラスだが、原作ではひげ剃り鏡となっている。
ミーナとルーシーの会話のくだりは全然見覚えのない内容。レース…?ルーシーが結婚を自慢…?カーファックスにある古い城砦がホームウッド家の持ち物…?マージャン…?
スウォールズ老人の言うことが原作と真逆。原作では幽霊の伝説なんから全部嘘っぱちだと言う。また、原作ではスウォールズ老人はルーシーに殺されたわけではない。原作ではルーシーは子供の血ばかり吸っていた(子供は死んでいない)。
ジョナサンが棺を見つけるもスキンスキーに見つかり失敗するくだりは、ジョナサンが城にやってきた商隊に手紙を預けるも伯爵に渡されてしまうシーン+棺を初めて見つけるシーンを混ぜ合わせてさらにシチュエーションを創作したものに見える。
シェーワード医師とヘルシング教授の師弟関係は無い。レンフィールドがヘルシングの書いた不死身になれる方法を記した書物をシェーワードに貸し与えるが、シェーワードはにわかには信じられないという。
この絵本ではアーサーはミーナがシェーワード医師を連れてきたことに激怒し、心を病んだ女性と結婚したくないと言うが、原作では(ルーシーに振られたシェーワードの心境を慮りつつも)シェーワード医師を呼んだのはアーサーで、常に彼女の容態を心配している。そして原作ではミーナはこの間、ジョナサンがブタペストで入院しているという報を聞いて不在。
シェーワード医師が別の医者を連れてくるのは原作通り。原作では別の医者とはヴァン・ヘルシング教授だが、嵐の日に港に難破した帆船にあった死体を検分していたカフィン医師がなんと原作での教授の役割を担う。
原作ではブタペストで療養していたジョナサンだが、この本ではルーシーの葬式にひょっこり現れる。
原作ではルーシーの母親の死亡はルーシーの死亡より前だが、この本ではルーシーの葬式時には生きている。
吸血鬼の殺し方はニンニクをたっぷりぬった短刀を心臓に突き刺すというもので、これも原作とは異なる。
吸血鬼に噛まれて四つめの傷口ができると吸血鬼になる?のも独自設定。
原作では最初家に入れてもらえないと吸血鬼は他人の家に侵入できないが、今作では煙突から入って来られるらしい。
原作ではルーシーが亡くなった時と同様、ルーシーを永眠させるために胸を杭に打つシーンにはミーナはいない。
吸血鬼は活動し始める夜に主人公一行が吸血鬼退治を強行するのも原作とは異なる。カーファックスの(城みたいな)屋敷で決着が着く。
終盤のドラキュラのシーンは全てオリジナル。
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