「はてしない物語」の二次創作というかシェアワールドというか、とにかく、ミヒャエル・エンデが発表した「はてしない物語」の世界観や登場人物を用いて、他の作家が新たに小説を書いた作品群が「ファンタージエン」シリーズである。
「秘密の図書館」はその第一弾で、ラルフ・イーザウによって書かれた(「ネシャン・サーガ」などで有名な作者だそうだ)。カール・コンラート・コレアンダーが古本屋の店員募集の広告をきっかけに巻き込まれる、「はてしない物語」より以前の時間軸の物語である。
「はてしない物語」本編では偏屈そうな古本屋の店主だったコレアンダーは、本編中で「ファンタージエンに行ったことがある」と明言しており、そこから着想を得たのだろう。
ストーリーの組み立て自体は王道ファンタジーで、序盤のアルベガの台詞などはちょっと説明的過ぎるかな、「けれでもこれは別の話、いつかまた、別のときにはなすことにしよう」という本編の決まり文句の挿入が今作では少し唐突かな、などと思いつつ、読みやすく楽しい物語だった。
「はてしない物語」での話の種の撒き方が上手で、またたくさんの種が蒔かれていることもあって、本書を読んでいてその部分が肉付けされているのを見るのは楽しい。
時間軸が本編前ということもあり、「はてしない物語」に登場するアイテム、キャラクター、それにコレアンダー自身の顛末はどうなるんだ?と、逆に知っているから気になるという部分もある。
登場する主な単語をまとめてくれているブログがあったのでリンクを貼っておく。
また、訳者後書きによればイーザウがこの作品の前年に発表した「パーラ」からもキャラクターなどを登場させているらしい。
また、「はてしない物語」よりも世界が全体的にやさしい(というとファンから怒られそうだが)。熱量高いアニヲタwikiの「はてしない物語」の項目にもあるように、人の子が使える創造の力は本編中ではある意味トラップのように作用するのだが、今作ではその力は「ファンタージエンの生き物に名前を付ける」程度で使用されるため、「あれ?そういえば……」というレベルに収まる。(というか「はてしない物語」本編ではおひかりの力を使って人の子が創造力を行使した場合だったような気がするが……自信がない、読み直そう)
今作では忘れたものは思い出しようがない、ということで、カールはこのネガティブな要素を存在をスルーしている。
また、トルッツやコレアンダーはファンタージエン図書館長として、普通にファンタージエンと外つ国を行き来できているようだ。私は「幼なごころの君がまた違う名前を授かったら幼ごころの君に会える」ということはつまり、「またファンタージエンに行くためには幼ごころの君は別の名前を授かっていなければならない」と読んでいたのだが、どうやら今作では異なるらしい?(しかし異なるがゆえにストーリーの顛末が優しく感じられ、これはこれでいいのではないかと思う)
まあこんな感じで本編との設定や雰囲気の違いは存在する。
また、訳者あとがきにもあるように、「はてしない物語」では特に特定の時代や国を示すようなものはないが、今作では明確にナチスドイツが台頭してきた時代である。ファンタージエン図書館に焚書コーナーの本が増えてきたあたりなどに時代性を感じさせ、「はてしない物語」とはまた違った現実とファンタージエン世界の対比描写となっており面白く感じた。
また、単純に図書館という設定はワクワクする。描かれなかった物語、失われた物語のたくさん詰まった図書館。そういうものが好きなら、この話はきっと楽しめると思う。
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