探偵と容疑者たちの会話劇(ベヴァリー・クラブ読了)

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頭痛がする中、もう1時間もどの本を借りるかで悩んでいる。分厚い本では挫折しそう。濃密な人間ドラマが展開されると今の私の精神的にはキツい。というわけで図書館でこの本を選んだ。
ピーター・アントニイという著者名で書かれた「ベヴァリー・クラブ(原題:How Doth the Little Crocodile)」である。元の作品は1952年出版だが、今回手に取った本はヴィンテージ・ミステリ・シリーズとして2010年に出版されたものらしい。

ベヴァリー・クラブ(ヴィンテージ・ミステリ・シリーズ)


容疑者はそこそこ多く、全員が被害者との間に何らかのわだかまりを持っているが、ほとんどが探偵と容疑者の会話で進んでいくので人間ドラマに薄布一枚隔てた感があり、気楽に読み進めることができた。

しかし、描写を見るとそこまで容疑者たちは嫌な人物に見えない。もう少し酷い人物にしないと展開に同情してしまうような気がする。とはいえあまりに酷い人物の描写の連続だと読み進める気を無くしてしまうか?塩梅が難しい。
探偵が神経質で、彼が容疑者たちと関わって不快に思って目を逸らしたり我慢ならなくなって感情的になったりしている描写があるのが探偵役としてはユニーク。というかこの本の登場人物はごく一部を除いてみな神経質で、相手のことを不愉快に思ったり(容疑者たちは尋問されているのだから当然だが)感情的になったりする。そのやり取りを眺めるのが面白かった。
仲が悪かろうが不快に思ってようが人間はコミュニケーションをしなければならないし、コミュニケーションは行えるのだ。

舞台となる場所はサセックス州にあるオールソップという村。陰鬱な場所と描写されており、人も村も居心地の良いものではなくサービスの質は悪い。
ここで提供される食事の不味そうなこと!
全てが煮込み不足そうな「シャステレン・シチュー」、二時間前に入れたホテルのコーヒー、冷めたノルマンディー風のタラ、煮込みすぎの料理、硬い肉。全く食指の動かないラインナップである。

 

引用がいくつか。見落としがあるかもしれないが以下に挙げる(人名のみの言及は除く)。

まず冒頭にはトーマス・ド・クインシー「芸術の一分野として見た殺人」の一節が(作中でも別の箇所が引用される)。

ウィリアム・ブレイク「過剰という道こそ叡智の宮殿に通ずる」は「天国と地獄の結婚」という詩集の「地獄の箴言」内の言葉のようだ。
図書カード:天国と地獄の結婚 (aozora.gr.jp)

タイトルの原題「How Doth the Little Crocodile」は不思議の国のアリス第二章に出てくるパロディ詩から来ている。本文内でも全文が引用される。
このパロディ詩の元はIsaac Wattsという神学者の「Against Idleness and Mischief」という詩だが、今作では関係ないだろう。
他には「鏡の国のアリス」の白の女王の台詞も引用される。

聖書はもう少し引用箇所を提示してくれると探しやすいのだが……聖書も一度通読しないとなあ。
追記:一ヶ所見つけた。箴言の21章9「いさかい好きな妻と一緒に家にいるよりは屋根の片隅に座っている方がよい」。本文中では「がみがみ女房」と訳されている。
ド・クインシーの著作も読みたい。

 

ここから少し結末に絡むネタバレをする。

最後まで読むとタイトルと冒頭の引用が効いてくるのがなかなかよかったというのが初見で読み終わった後の感想だが、邦題と原題の意味が違っていて驚いた。
邦題はロジャー・ホープにかかっていそうだったが、原題はリヴィングストン卿にかかっていた。本文でも言及されている。

死者の悪意という点で思いつく作品がいくつかあるが、ここに書くと他作品のネタバレになりそうで悩む。

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読書
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