この記事で言及していた「Little Bear」シリーズを読んだので感想を書き留めておこうと思う。最初英語版で読み通したものの、意図が掴めないフレーズがあって結局日本語版を借りたという経緯がある。
「クマと森のピアノ」シリーズもそうだが、英語と日本語版を見比べると、意訳してある箇所が味わい深くてよいなと感じた。
こぐまのくまくん
原題:LITTLE BEAR
最初の物語がいまいちよく分からない。服や帽子を着込んでも寒いという子グマ。子グマの着ているものを全部脱がせてfur coatがあると言う母グマ。最後の文章「What do you think of that?」……これは怖い話?
日本語版では「なんだか、おかしいですね。」となっていて受ける印象がかなり違った。個人的には日本語版の方が怖さが抜ける。
「怖い」というイメージで入ったせいで、誕生日の話は普通に母グマがいないまま終わるかと思った。予想と違ってよかった。
しかし、月の子グマ扱いで話を進める母グマ、最後の話の子グマが話す空想話を片っ端から否定する母グマも怖かった。日常的にやっているやりとりで、最後の流れまでおそらく予定調和のコミュニケーションなんだとは思うけれど……最初の話で恐怖を抱いてしまった結果、変な見方をしてしまっている。
まあ、この手の子供の空想を全て肯定していると、空を飛びたいと言って転落死してしまうかもしれないしな……。
かえってきたおとうさん
原題:FATHER BEAR COMES HOME
Hiccupsの話の父親が怖くて、この本の最後にある”Because you never can tell about mermaids.”のくだりを「(もう二度と戻ってこないから)あなたは人魚については決して言及できない」と読んでしまう始末。
いくらなんでもそんなに怖い話ではないだろうと思って日本語版を借りることになった。
日本語訳では「だって、あいてがにんぎょでは、どういうことがおこるかわからんからね」
You can never tell で一つのイディオムのようで、下記辞書でも「(今後どうなるかは)わからないものですよ」とある。
You can never tell.の意味 – goo辞書 英和和英
話はもし川に人魚がいたらピクニックに誘ってごらん、という父グマに対して、子グマが「Because you never can tell」を使って本当に人魚を連れてくるかもよ、と言い、父親がそれに”Because you never can tell about mermaids.”と返したという流れ。
……ん?やっぱり怖い話?人魚が友好的とは限らない的な締め方……なのだろうか……?
くまくんのおともだち
原題:LITTLE BEAR’S FRIEND
夏の間に友達になったエミリーとの出会いと別れ。子グマといいエミリーといい、子供の描写のあるある感が凄いなと思う。
だいじなとどけもの
原題:A KISS FOR LITTLE BEAR
子グマのおばあちゃんからのキスの届け物を、色々な動物がリレーしていく話。最後のスカンクの下りが笑ってしまう。
おじいちゃんとおばあちゃん
原題:LITTLE BEAR’S VISIT
祖父母に甘えまくる孫の構図はどうしてこんなに可愛いのか。
くたびれないぞと主張しつつ寝てしまう祖父や、代わりにお話をしてくれる祖母の姿にノスタルジックな気持ちになる。自分の幼少期の体験とは少しずれるが、やはり祖父母には優しくしてもらった記憶があるからだ。
しかし、母グマは寝入りかけている子グマが周囲の話を聞いていることをそこまで厳しく叱らなくても……と思ってしまう。本当に眠そうだったので、狸寝入りとも言いづらいし。
シリーズぜんぶまとめての感想
最初に読んだ話の意図が掴めず、母グマに対して猜疑心が湧いてしまったために終始疑心暗鬼になりながら読んでしまったのだが、結果的には「かわいらしいお話」で収まるシリーズだった。おそらく。
検索をかけるとセンダックがイラストを担当していない「LITTLE BEAR AND THE MARCO POLO」もあるのだが、こちらはまだ未読。
しかしこのシリーズを読んだのが少し前なので、もう忘れかかっている部分も多い。ちゃんと逐一メモしておかないとなと思うのだが、面倒でつい怠ってしまうのであった……。
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