宝石の国を99話まで読んだ

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宝石の国が無料公開していたので、無料公開分である99話まで一気読みした。初見の感想を残しておきたいと思ったので、あまりまとまっていないがメモ的に残しておく(まあ、このブログ自体メモ書きとして使っているので、これはこのブログ的には王道の使い方だ)
まず100時間限定公開と聞いた当初、公開期間がかなり短いなと感じたのだが思ったより時間があった。100時間、つまり4日ほどあるというわけで。宝石の国は今のところ12巻刊行ということで、4日間のうち1日時間を割ければ、漫画本を12巻読むのはそれほど困難というわけでもなかった。これがワンピース100巻100時間とかだと地獄を見そうだ。


「宝石の国」を読む前の評価として、「情緒がぐちゃぐちゃになる」「メンタルが元気な時に読んだ方がいい」といった感じのものを目にしていたけれど、個人的にはそれほど、といったところだった。
序盤は主人公と金剛先生以外のメインになったキャラが数話くらいで退場する(あるいはあまり出てこなくなる)からあまり思い入れないうちに物事が動いていき、そうしている内に主人公も外見や内面がころころ変わっていく。主人公は一応「フォスフォフィライト」という鉱物人間なのだが、失ったパーツは違う種類の鉱物で代替され、頭部ですらラピスラズリという別人のもので代替するので顔も変わり、髪型も一話で変化したりする。漫画という常にビジュアルが紙面に提示され続ける媒体なので外見は人物を見分ける記号として大きな要素を占めると思うのだが、この漫画は容赦なくこの部分を変化させる。

序盤は金剛先生を中心とするギムナジウムのような、箱庭のような世界が提示されるが、それも中盤まで。
作品は全体的に流転、変質、消滅といった世界観で、思い入れが発生する前に主人公も周りも変容していく。
ゴースト・クォーツとカンゴーム(ウェレガト)のキャラ付けも、やっぱり変容、変質、流転といった類のものに感じる。
この変容していく雰囲気が幻想文学に近いと思ったのだが、鉱物たちを襲う月人たちのビジュアルやエクメアの名が本来はエンマという辺りからすると仏教的な世界観なのだろう。仏教には詳しくないからこれ以上の考察はできないが。

友人がこの作品を以前読んだ感想として、「読みづらい」というのを挙げていたのだがわからなくもない。特に序盤は「何をやっているのか把握するのが困難(特に戦闘シーンにおいて)」という特徴が顕著。特にスマートフォンで読むと私も読み続けるのが困難だと感じてタブレットに移行した。小さな画面に不向きな画風なのかもしれない。カラー版が作成されるとこの点は少し解消されるように思う。

そして「思い入れ」の部分に関しては、こちらが一気読みしているせいかもしれない。「アフタヌーン」という月刊誌で2012年からざっと10年ほど連載していることを考えると、思い入れはリアルタイムで追っている読者と一日で一気読みした読者とでは大きな乖離があるだろう。

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雑記
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